あの頃の不安と希望を繋いだメロディ:BUMP OF CHICKEN『天体観測』と大学受験の記憶
大学受験期の夜空と、見えないものを探す歌
人生には、未来への道筋が不透明で、漠然とした不安に心を支配される時期が訪れるものです。私にとって、それは高校三年生、大学受験を目前に控えたあの夏から冬にかけての季節でした。進路のこと、友人との別れ、そして何よりも「自分はいったい何になりたいのか」という問いに対する答えが見つからない焦燥感。そんな内なる葛藤を抱えていた当時の私の心の奥底に、静かに、しかし確かに響き渡った一曲があります。それは、BUMP OF CHICKENの『天体観測』でした。
この曲がリリースされたのは2001年。私が高校三年生になる少し前のことでした。当時の彼らの音楽は、同世代の若者たちの間で瞬く間に広がり、そのストレートな歌詞と情熱的なサウンドは、多くの共感を呼んでいました。私もその一人であり、特にこの『天体観測』は、受験という人生の岐路に立つ当時の私にとって、単なる流行歌以上の意味を持つ存在となりました。
夏の夜の語らいと、響き渡るメロディ
高校三年生の夏休み、私は友人と連れだって、夜な夜な近所の公園に集まっていました。目的もなくただ座り込み、将来への不安や期待、日々の学校生活の愚痴などを訥々と語り合う時間です。蒸し暑い夏の空気、遠くから聞こえる虫の鳴き声、そして私たちの頭上には、都会の光に少し霞みながらも、確かに星々が瞬いていました。
そんなある夜、誰かが持ってきたカセットプレーヤーから流れてきたのが、『天体観測』でした。イントロのギターリフが鳴り響いた瞬間、それまでの会話は途切れ、私たちは無言で空を見上げました。歌詞の「見えないものを探す」というフレーズは、まさに当時の私たちの心情そのものでした。将来の夢も、自分の進むべき道も、まだ明確には見えていない。それでも、私たちは何かを探し続けようとしている。そんな漠然とした感情を、この曲は代弁してくれているように感じられたのです。
「答え合わせ」ではなく「探求」すること
『天体観測』のメロディは、疾走感がありながらも、どこか切なさを帯びていました。それは、希望と不安が入り混じった当時の私の感情と不思議なほどに重なっていたのです。友人たちと別れて一人、自転車を漕いで家路に着く夜道。ウォークマンから流れるこの曲を聴きながら、私は何度も空を見上げました。歌詞に出てくる「答え合わせ」という言葉は、受験という「正解」を求められる時期にいる私にとって、強く心に響きました。しかし、この曲は「答え合わせ」のその先、「見えないものを探す」ことの価値を教えてくれているようでした。
参考書を開いてもなかなか集中できない夜、ベッドに横になり、目を閉じてこの曲を聴くことがよくありました。星の光が何億年もかけてようやく地球に届くように、自分の未来も今すぐには見えなくても、やがて光として現れる日が来るかもしれない。そうした、根拠のない、しかし確かな希望を抱かせてくれたのです。それは、受験という明確な目標がある一方で、その先に広がる広大な未来への恐れを抱えていた私にとって、静かな、しかし力強い励ましとなりました。
今も胸に残る、あの頃の探求心
あれから随分と時間が経ち、私の人生も様々な局面を迎えました。時に迷い、時に立ち止まることもありましたが、あの頃の夜空を見上げて「見えないもの」を探していた感覚は、今も私の心の奥底に残っています。
BUMP OF CHICKENの『天体観測』は、私にとって、単なる青春の思い出を彩る一曲ではありません。それは、大学受験という人生の節目において、未来への漠然とした不安を抱えながらも、それでも「探求」し続けることの大切さを教えてくれた、心の羅針盤のような存在です。今この曲を聴くと、あの夏の湿った空気、夜空の静けさ、そして友人と交わした無言の理解が鮮やかに蘇ります。そして、どんな時代においても、見えない未来を探し続けることの尊さを、改めて感じさせてくれるのです。